自転車が趣味となった記憶

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こんにちは。HIDEKAZUです。
今回は、私が自転車を乗る切欠や、その後の自転車生活に影響したと思う記憶を掲載します。
文字数だけで、2000文字近くです。
昔の記憶なので、曖昧な部分もありますが、自分の中での気持ちや記憶の整理も兼ねて書いていきました✎


私が、自転車で遠出をしたいと思うようになったのは、小学5年だったかな。
このくらいの時に、大阪の富田林から柏原市まで「南河内サイクルライン」という、河内長野から柏原市に向けて流れる「石川」に沿って、大和川に合流まで続く自転車専用道路が出来たのが切欠でした。

もともと、自転車には興味はあって、

『自転車くらい自分で直せないと男ではない

という、変な考えを持っていました。
それから、高校を卒業するまでの間、このサイクルラインを良く使うことになります。

南河内サイクルライン サイクル橋

南河内サイクルライン サイクル橋

中学に入って、私の前の席に座っていた北井君が自転車好き。
ということもあって、初めて見せてもらったMTBのカッコよさに羨ましく思ったのを今でも覚えています。

中学に入ると、もちろん行動範囲も広がって行きますね。
中学1年の時に、シティサイクルで『富田林から奈良県の法隆寺や東大寺』や、『富田林から神戸』まで行ったりしていました。

『自転車で、こんなに遠くまで行けるんだ。』

という気持ちを持ったことで、その後どんどんエスカレートしていきます。

中学・高校の頃に、よく走りに行ったのは奈良ですね。
東大寺まで、高校卒業するまでに10回ほど行ったと思います。
あと、近つ飛鳥風土記の丘や二上山、奈良の当麻。

私が『近鉄バファローズ』のファンであったことから、
南河内サイクルラインを使って、藤井寺球場まで良く行ってました。
だいたい1時間ほどで行けるので、丁度よい距離だったと思います。

アニメも好きだったこともあり、アニメイトという店を目指して、友達を引き連れて『天王寺』や『大阪城公園』『奈良』まで行ったりもしていました。

遠出をするたびに、新しいことを発見できるし、
また、自分の力で長い距離を走れることが楽しくなってきました。

途中、パンクを経験したり、危ない目にもあったことがありますが、
今思えば、パンクを修理するスキルすら無い中で、よく行ったなと思います。

今では、考えられないですね。

特に残っている思い出が2つあって、

1つは、中学生の頃に友達と奈良の東大寺を目指してサイクリングをしていた時、
「王寺駅」の近くにあるコーナンに立ち寄って休憩して、
自転車の鍵を解除しようと思い準備をするのですが、ポケットやカバンを探しても見つから無いという最悪の事態に・・・。
どうしようも無かったので、仕方なく王寺駅まで押して行っているところに、中型バイクに乗ったおじさんが声を掛けてきてくれて、工具で開かなくなった鍵を解除してくれたこと。
これは、もう20年以上前の事ですが、今でもよく覚えています。

2つ目は、独りで奈良の東大寺まで行き、さらに生駒の北側まで走りに行ったときの事。

この時は夏でした。シティサイクルなので、前の籠には1.5Lペットボトル1本。スーパーマップル。所持金は1000円ほど。もちろんパンク修理のスキルも無し。

今では、考えられない事をやっていました。

この時も、南河内サイクルラインを走り、
王寺→法隆寺→富雄駅→西大寺駅→東大寺という流れで目的地へ。
そこから、再び富雄まで戻り、従兄弟が生駒の北部に居るので、そこまで走りに行こうと思って北上するも、途中の公衆電話で実家に電話して、従兄弟の家に誰か居てるか確認してもらったけれど、誰も居ないということで、大阪へ戻ることに。

炎天下の中ということもあり、持ってきた水分の消費が早く、この時点でペットボトルのお茶は無し。残金も100円。

国道163号と富雄駅の間辺りで買ったジュースを最後に富田林まで必死の思いで向かいました。
この頃は、コンビニなんてのも殆どなく、今のように気軽にトイレを借りれるなんてことも無かったのです。
大型スーパーに寄って、トイレの洗面台から水でも汲めば良い話なのですが、
中学生の頭の中には、そんなことを考えることはありませんでした。

奈良から柏原に入り、南河内サイクルラインに入った時は嬉しかった。
距離は、まだまだあるけれど
『もう少しで家に着く』
と思うと、気持ちも落ち着きを取り戻してきました。

しかし、残り10数km。残り1時間程度の道のり

真っ暗の中、ひたすら走り続け、
喉の渇きは限界、身体の汗も次第に出てこなくなってきました。
体中ベトベト、そして塩でザラザラ。

途中、水を汲めそうな所いっぱいあるのにね。
昔は、ほんとに真面目な子だったから、そういう知識が無かったんですね。

また、富田林に入ると、実家のある団地までに坂道が多くて大変で、
押して上ったのか、乗って上ったのか、もう覚えていません。

実家のある団地には、自由に使える水道があったので、
着いた途端、そこで一気に水をがぶ飲み。

この苦行と言えるようなサイクリングをしたおかげで、
さらに自信をつけてしまい、これからの自転車生活に繋がっていきます。


いかがでしたか。
最後の方は、さらっと流すような文章になりましたが、
こんなこともあって、私の自転車生活がその後に繋がっていくのです。

まさか、大人になっても変わらずに続けられていることが、とても嬉しく思い、
色んな人との出会い、お世話になったり、何かをもらったり・・・
この趣味が無ければ、おそらく私はテレビゲーム三昧のインドア男だったと思います。

その後のことも、書き上げる予定にしています。

どうも読んでいただき、ありがとうございました。

箕面市 Hidekazu

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